ビルボードライブスタイル

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 東京もすっかり春。桜の花、色づく木々の緑を眺めていると、東京デビューをした頃のウキウキとしているのに重苦しい……そんな不思議な感覚を思い出す。
ウキウキは当たり前だろう。東京には「すべてがある」気がした。地元になかった光景、溢れんばかりのモノとヒト。そこに流れている空気は、「憧れ」の香ばしい薫りを放って輝いている。そのすべてに手が届きそうだ。
だけれど、殺風景なビル街を歩けば、自分までも無機質な空洞のように思えてきたり、賑わう繁華街を行けば、常連になるまでの術もわからず、居場所のなさに立ち尽くしたり。いざ流行の洋服を買おうにも、外国人アーティストのコンサートに行こうにも、我が財布の中身に拒絶されたり。
そうそう、その財布のおかげで1979年のマーヴィン・ゲイの来日公演を見逃したのだ。「うーん。今回は諦めよう……」と、20歳の若造はチケットを買わなかった。いや、買えなかった。そして、マーヴィンは、その5年後にこの世を去る。4月がやってきて彼の命日を迎えるたびに、当時のオノレの財布を恨み続けることになった。とても哀しい。
「すべて」はあったが、そうそう簡単には手が届かせてはくれない。東京になじめないままの重苦しさもまとって歩いていた十代の春を思い出せば、この原稿を書きながらも胃の腑にずしりと重いものがあるというものだ。
それから幾星霜。いまだに「自分の街」と呼べる場所は少ないけれど、なんとか軽快に東京を歩けるようになった。とても嬉しい。
重苦しさからの脱出方法はただひとつ。街に出ること、だった。ジャズ喫茶やロック喫茶では一杯の珈琲でねばり、ジャズのライブハウスでは料金が安い昼の部に出入りし、銭湯の幸せを覚え、路地を曲がったところにある大衆食堂と大衆酒場に忍び込む術を体得した。

 自分が所有している「時間」と「お金」の見合う場所を「居場所」になった。そして、そこで様々な出逢いを得る。その出逢いのきっかけになってくれたのは、映画や音楽。
中学生で背伸びして買ったキャロル・キングの『つづれおり』の話をすれば、呑み屋の隣にいた年季の入った先輩が『ミュージック』という別のアルバムを教えてくれた。そんな出逢いからジェームス・テイラーを聴き、キャロル・キングをカヴァーしていたアイズレー・ブラザーズを聴いてみた。映画『ブルース・ブラザーズ』が好きだと言えば、ソウル・バーのマスターはジェームス・ブラウンとレイ・チャールズをガンガンかけて、ついでに踊り方まで教えてくれた。
もちろん、芝居も、映画も、寄席もある。いわば「街全体がライブハウス」で「街全体が深夜食堂」だった。顔を上げて視界を広くして見て回る、そんな「TOKYO VIEW」が東京デビュー。

 キャロル・キングの『ミュージック』に「スウィート・シーズンズ」という曲がある。この季節にラジオから流れてきたりすると、とても具合がよろしい。東京には思いのほか緑も多い。なかなかに快適な公園もある。ウォークマンも買えなかった頃を思えば、どこにでも音楽もラジオも、はたまた映画も持ち出せるのだから、東京の春の満喫方法は飛躍的に向上している。
残念ながらいまだに財布との戦いは続いているけれど、もう恨むこともないなと思う。自分が所有している「時間」と「お金」に見合う場所を見つければいい。東京には、その選択肢がたっぷり用意されている。とても頼もしい。

渡辺 祐




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