Billboard Live TOKYO
2010.6.4 1st set
Contradiction
Sweet
Who'd she coo
Skin Tight
Let's Love
Fopp
Heaven
Funky Worm
Free
Roller
Bass Interlude
Fire
70年代を「スキン・タイト」「ファイアー」「ラヴ・ローラーコースター」など、珠玉のファンクナンバーでフロアを席巻したオハイオ・プレイヤーズ。その熱くメロウネスに溢れたナンバーを1963年にギター&ヴォーカルとして参加、まさに黄金時代を築き上げたリロイ“シュガーフット”ボナーが蘇らせる!オハイオ・プレイヤーズの歴史は古く1959年にまで遡る。不遇な時代を過ごしながらも、70年代に入って「ファイアー」がBillboard HOT 100とR&Bチャートで1位を獲得するなど人気を獲得。特にはメロウなメロディーラインを備えたナンバーは彼らならではの世界。アルバム・ジャケットのセクシーなヴィジュアル・コンセプトも強烈な印象を与え、ファンク・サウンドのアイコンとなった。衰えを知らないシュガーフット率いるオハイオ・プレイヤーズのグルーヴがフロアを揺らす。
6/4(Fri)1st Stage Open 17:30 Start 19:00 / 2nd Stage Open 20:45 Start 21:30
6/5(Sat)1st Stage Open 17:00 Start 18:00 / 2nd Stage Open 20:00 Start 21:00
Service Area : ¥8,500 (3) / Casual Area : ¥6,500 (2)
※カッコ内の数字はコーポレートチケット枚数
BBL会員・法人会員: 受付は終了しました
ゲストメンバー: 受付は終了しました
シュガーフット / Sugarfoot(Vocals)
トラエ・ピアース / Trae Pierce(Bass)
カルバン・ロートマン / Calvin Loatman(Guitar)
アール・フレミング / Earl Fleming(Keyboards)
エマニュエル・クック / Emmanuel Cook(Keyboards)
ダーウィン・ダニエルズ / Derwin Daniels(Saxophone)
アーマッド・ラズベリー / Ahmad Rasberry(Trumpet)
マーカス・ルイス / Marcus Lewis(Trombone)
コートニー・ガーリー / Courtney Girlie(Drums)
【オハイオ・プレイヤーズ / Ohio Players】
●1960年頃、ジ・オハイオ・アンタッチャブルとして結成されたのが始まり。初期のメンバーは、ヴォーカル兼ギタリストのロバート・ウォードとベーシストのレヴァー・フレドリック、ドラムスのコーネリアス・ジョンソン。そこにトランペットのラルフ”ピーウィー”ミドルブルックとサックスのクラレンス”サッチ”サッチェルが加わって、そのキャリアがスタートしたが、当初はまったくヒットが出ず、彼らがバックをつとめたウィルソン・ピケットが在籍していたヴォーカル・グループ、ファルコンズの「I Found a Love」のヒットぐらいしか結果を残せず、ロバートはソロ活動をするためにバンドを去る。●代わって彼の弟分的存在だったリーロイ”シュガーフット”ボナーがバンドに参加。しかし、当初彼はギターのみの担当ということでヴォーカルは別のメンバーが担当。●1967年、アンタッチャブルズは“オハイオ・プレイヤーズ”に改名して再スタートを切り、新ヴォーカリストとしてジョー・ハリス、ドラムスにはグレッグ・ウェブスターが参加しました。1968年、新メンバーによるオハイオ・プレイヤーズとしてのデビュー曲「トレスパッシン」は小ヒット。●1971年、シングル「ペイン」が出て、ウエストバウンド・レコードがディストリビューションを請け負い、R&Bチャート35位にランクされた。ウエストバウンド・レコードからアルバム『ペイン』『プレイヤー』『エクスタシー』『クライマックス』が出る。『ペイン』では、シュガーの歌うブルースがあるがジュニー色が強くなる。その間、1973年のジュニーがヴォーカルとシンセサイザーを担当した「ファンキー・ウォーム」がR&Bチャートで1位となる。●1974年に、マーキュリーと契約。新しいメンバーとなり、2年の間、次々とトップ10シングルでR&Bチャートを圧巻する。又、アルバム『スキン・タイト』『ファイアー』『ハニー』『コントラディクション』『ゴールド』はゴールド・ディスクとなり、シュガーのヴォーカルも多くのアーティストに影響を与える。しかし、1977年以降R&Bチャートのトップ10内に登場することはなく、1978年にアリスタから出たアルバムリリース後、分裂する。リチャード“ディンプルズ”をプロデューサーに起用した1981年の『アウチ!』からは、R&Bチャートのトップ40ヒットが2曲でている。●1985年、法的な問題からオハイオ・プレイヤーズの名前は使用できず、シュガー・フット名で出すこととなる、ザップのロジャー・トラウトマンをプロデューサーに起用したアルバム『シュガー・キッス』は面白いわりにあまりヒットしなかった。●1988年には、オハイオ・プレイヤーズの名義で、トラック・レーベルからアルバム『バック』をリリース。マーキュリー時代が黄金期と言える。その後のアルバムはヒットを出すに至っていないが、今もライヴは、見応えがある。