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「旅立ちの酒 キール・ロワイヤル」



オキ・シロー Shiro OKI

すんなりと華奢なフルート型シャンパン・グラス。その細長い優美なグラスの中で、やや淡いルビー色の酒が華やいでいる。

オーストリアはウィーン生まれのカクテル、キール・ロワイヤルである。友人の娘の就職祝いに選んだ酒だった。

つくり方は至って簡単。フランスの名リキュール酒クレーム・ド・カシス少々と、たっぷりのシャンパンをグラスに注ぎ、軽くステアするだけ。ただ、シャンパンもクレーム・ド・カシスもよく冷えていることが肝要だ。

優雅な爽やかさが身上のシャンパン。その極上発泡ワインが、カシス(黒すぐり)の酸味と甘味で華やかさを増し、なんともいい風味。友人の娘も大いに気に入ってくれた。

シャンパンで彼女の新しい旅立ちを祝いたい。そう思い、選んだのがこのウィーン生まれのキール・ロワイヤル。ウィーンといえば、社交界にデビューする娘たちがワルツを踊る華やかな舞踏会で知られる地。そのことも彼女のためにこの酒を選んだ一因だったが、もうひとつ大きな理由があった。

実は小生、この娘さんに少々負い目のようなものがある。あれは四年ほど前、酒席で友人が娘のことを話題にした。その途中、やおら彼に憮然とした顔で抗議されたのだ。「悪いけど、俺の娘は美人だよ」と。

鬼瓦のような顔のお前さんの娘なら、不細工に違いない。そんな無礼な思い込みが口ぶりに表われていたのだろう。後日、娘さんを紹介されて仰天した。正真正銘、とびきりの美人だったのだ。

彼女と再会したのは、なんとも残念なことに彼女の父親、つまり友人の葬儀の席だった。一年半ほど前のことである。

急逝したその友人が、アペリチフに愛飲していたカクテルがキールだった。キールは、超辛口白ワインとクレーム・ド・カシスでつくる美酒。キール・ロワイヤルは、そのバリエーションとして生まれたのだという。

「ああ、辛口白ワインをシャンパンに変えただけなんですね」

友人の娘はいくらか目をうるませて、静かに一杯目のキール・ロワイヤルを飲みほした。その美しい横顔に友人の面影はなかったが、いかにもうまそうにグラスを傾ける、その飲みっぷりは父親ゆずりに見えた。

オキ・シロー

作家。カクテル、酒、酒場などをテーマにした掌編小説、エッセイ、ルポなどを執筆。多数の著書には、熱心な読者がいる。最新刊は、アーネスト・ヘミングウェイの作品と人生を彩った名酒の数々を、味わい深い筆致で綴ったエッセイ『ヘミングウェイの酒』(河出書房新社)。

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