ビルボードライブスタイル

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Maria Muldaur



近況を教えて下さい。

私は1974年にリリースされた「真夜中のオアシス」の大ヒットで知られていると思うけど、46年のキャリアは様々な形のアメリカン・ルーツ・ミュージックを網羅した、長い放浪の旅と言えるわね。36年前のヒットから、確か36枚のアルバムをレコーディングしていると思う。90年代の初頭から毎年1枚はほぼ自身でプロデュースしたアルバムをリリースしてきているの。そのほとんどはニューオーリンズ風のブルース、R&Bとスワンプ・ロックを織り交ぜた自称「Bluesiana」っていう音楽スタイルでね。2000年からはMemphis Minnie、 Bessie Smith、Ma Rainey、Mississippi John Hurt、Lead Bellyなどの初期ブルースのパイオニアをトリビュートするアルバムをリリースしているわ。そのうち何枚かはグラミー賞やW.C Handy ブルース・アワードにノミネートされているの。一番最近のプロジェクトでは、自身の初期のジャグ・バンドのルーツを再確認しようと思い、“The Even Dozen Jug Band”のJon SebastianとDavid Grisman、そして私の大好きなアーティスト、Dan Hicksに参加してもらったわ。アルバムのタイトルは、『Maria Muldaur And Her Garden Of Joy- Good Time Music For Hard Times』でこの作品もブルース・ミュージック・アワード(旧W.C Handy ブルース・アワード)にノミネートされているのよ。 このアルバムは2009年の9月にレコーディングしたんだけど、一番楽しかったのは、Dan Hicksと2曲デュエットしたことね。他にも彼が書いた曲を二曲レコーディングしたわ。2009年の秋はそのアルバムのプロモーションでツアーした。そのアルバムがあまりにも好評だったので、最近子供向けのジャグ・ミュージックアルバムをプロデュースしてほしい!っていう依頼を受けたのよ。今現在は、2010年9月にリリース予定の『Down At The Barnyard Dance』のプロダクションを仕上げているところ。長々と話しちゃったけど、簡潔に答えるならば過去20年間、毎年冬の間に1枚アルバムを作って、“Maria Muldaur and her Red Hot Blusiana Band”、 “Maria Muldaur and Her Garden Of Joy Jug Band”、または私のジャズ・バンド“The Maria Muldaur Quartet” (俗に"The Jazzbos")のいずれかのバンドでツアーをしてるわ。

60年代に“フォーク・ミュージック・リバイバル”の中心であったNYのグリーニッジ・ヴィレッジで過ごしたことと、そこで出会った仲間達にはどのように影響されましたか?

あの時代をグリーニッジ・ヴィレッジで過ごせたことはとても幸運だと思う。1900年初頭からアーティスト、ミュージシャン、詩人、発想家や“自由な”人々が集まるメッカだったし、私の思春期だった60年代前半は、すべての“ヒップなもの”の中心地だった。その時に起きていた“フォーク・リバイバル・ムーヴメント”で追及や発掘された音楽のおかげで、私はありとあらゆるアメリカン・ルーツ・ミュージックに出会うことが出来た。アパラチアン・マウンテン・ミュージック、ブルーグラス、カントリー・ミュージックやブルースなんかね。あとジャズ・クラブもたくさんあったから、クラシック・ジャズを聴くにも最高の場所だったわ。アメリカン・ミュージックの最高峰を家から一歩でたらすぐ堪能できたんだから!そしてフィドルを習い、様々なジャンルのソウルフルで素敵な曲を学び、歌い始めた。その頃Bob DylanやブルースのレジェンドVictoria Spivey、 Reverend Gary Davis、 Doc Watson and His Family、 Mississippi John Hurtなどアメリカン・ルーツ・ミュージックのレジェンド達に出会ったわ。ある時にはDavis Grismanと“Maria and The Washington Square Ramblers”っていうブルーグラス・バンドをやっていたんだけど、その直後にDavidとJohn Sebastianに“The Even Dozen Jug Band”に入らないかっていう話をもらったの。彼らと一緒にスタジオに入ったのが初めてのレコーディング・セッションだったわ。その後“The Jim Kweskin Jug Band”に入らないかと誘われて、マサチューセッツ州ケンブリッジに引っ越し、1969年に解散するまで彼らとレコーディングし、ツアーしたわ。

その頃出会ったアーティストで影響された人は誰ですか?

大勢いるんだけど、もっとも影響を受けたのは、Bob Dylan、Victoria Spivey、Doc Watson、そして彼の義父でフィドラーのGaither Carlton、The Stanley Brothers、そして個人的に会ったことはないのだけれど、Memphis MinnieとBessie Smithね。

アニー・リーボヴィッツが撮影した『ローリング・ストーン』紙のあなたの表紙がとても印象的で好きなのですが、当時同世代の女性のアーティストと仕事することはどうでしたか?また音楽業界の中での女性の役割は時代とともにどのように変わったと思いますか?

『ローリング・ストーン』紙と私の2ndソロ・アルバム『Waitress In A Donut Shop』のジャケットの為にアニーと仕事をするのはとても光栄で楽しい経験だったわ。彼女はとても独創的でクリエイティヴで、私がホルタートップと短いジーンズでラクダに乗ったら面白いんじゃないかしらって考えたの。とても面白いアイディアだったからやってみようと思ったけれど、死ぬほど怖かったわ。ラクダって結構背が高いから、思ったより地面が遠くて!しかも協力的なラクダじゃなくて…。アニーは私が怖がっているように見えない一枚が撮れるまで、ひたすらシャッターを押していたわ。彼女はとても才能があるフォトグラファーだと思う。その写真は『ローリング・ストーン』紙の中面に大きく使われたわ。女性の役割ね…、この質問はよく聞かれるんだけど、今まで女性だからって私のクリエイティヴィティに対して壁を感じたことや成功を妨げられることは一度もないと思う。私は、自分自身をアーティストだと思っているし、他のミュージシャンや音楽業界の人々からを敬意もって接してもらっていたと思うわ。

60年代からずっと音楽を作り続け、アルバムもコンスタントにリリースしていますが、長年音楽を続けられた理由を教えて下さい。

音楽は私のパッションなの!自分の大好きなことで、何年間も食べていけるっていうのはとても幸福なこと。アメリカン・ルーツ・ミュージックのことを学び、追及する私の旅はまだまだ続くし、それを苦に感じたり、飽きることは絶対ないと思う。大好きな音楽を作るのをやめるなんて考えられないわ!

今回共演するシンガーのダン・ヒックスとの関係を教えて下さい。いつどのように彼と出会ったのですか?

たしか彼のデビュー・アルバムを聴いたのは、1970年だったと思うんだけど、ホントに素晴らしかったの!彼の書く曲、声、音楽性、そして最も惹かれたのは最高なユーモアのセンス!彼の音楽はジャグバンド・ミュージックに通じるものがありつつ、スウィングやジャズの要素も取り入れていた。その前にも後にもやったことがないんだけど、彼の音楽がどれだけ好きかっていうことと、もしホット・リックスの一人が病気になったり辞めたりして、代わりのシンガーが必要になった時には、ぜひ私がやりたいって手紙に書いて送ったわ。3年後にデビュー・アルバムをLA Walkin One and Onlyでレコーディングしている時に彼と初めて会ったんだけど、とても面白い人で彼といると楽しくてしょうがなかったわ。その頃からずっと友達よ。

ビルボードライブ・ツアーに期待できることは?今回はダン・ヒックスと共演しますが、普段のあなたのソロのライブとはどのように異なると思いますか?

何回か一緒にレコーディングしたり、ゲストとしてお互いのショーに参加しているんだけど、公式に一緒にパフォーマンスするのは、今回のビルボードライブでの公演が初めてとなるわ。2人ともこの機会をとても楽しみにしていて、セットリストももう決めているの。私とダン、それぞれ5曲ずつソロで演奏して、5~6曲をデュエットする予定。全ては素晴らしいジャズ・カルテットをバックにね。あと、私の最近のジャグアルバムでのデュエット曲は必ずやると思うわ。

日本のファンへのメッセージ。

この何十年私の音楽をサポートし、敬愛し続けてくれた日本のファンの皆さんに心からありがとう!と言いたいわ。日本をツアーするのはいつも楽しいし、皆さんの敬意が伝わって嬉しいわ。私の音楽にとても興味を持ってくれているし、知識も持っている。だから今回のビルボードライブでのダン・ヒックスとのツアーをぜひ観に来て欲しいわ。とてもスペシャルなものになるから。みなさんに会えるのを楽しみにしているわ!

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