Blues
West Road Blues Band
伝説のブルース・バンド、ウェストロード・ブルース・バンドが、オリジナル・メンバーでビルボードライブ大阪に初登場!
9/13(Sat)1st Stage Open 17:00 Start 18:00 / 2nd Stage Open 20:00 Start 21:00
Service Area : ¥7,400 (3) / Casual Area : ¥5,400 (2)
※カッコ内の数字はコーポレートチケット枚数
BBL会員・法人会員: 受付は終了しました
ゲストメンバー: 受付は終了しました
永井“ホトケ”隆/Takashi "Hotoke" Nagai(Vocals)
塩次 伸二/Shinji Shiotsugu(Vocals/Guitar)
山岸 潤史/Junshi Yamagishi(Guiatar)
小堀 正/Tadashi Kobori(Bass)
松本 照夫/Teruo Matsumoto(Drums)
【ウェストロード・ブルース・バンド/West Road Blues Band】
●1972年 永井“ホトケ”隆Vo 塩次伸二G 山岸潤史G 小堀正B 松本照夫Drというメンバーで「ウエストロード・ブルーズバンド」を結成。
●同年9月のB.B.King大阪公演のオープニング・アクトの際にB.B.本人からアンコールでのセッションを依頼され共演。それが更に深くブルーズに傾頭するきっかけとなる。
●1973年 4月「Magazine#1/2」が閉店するため常連の出演グループであった、「レイジー・キム・ブルース・バンド」そしてウィーピング・ハープ・セノウたちと記念のライヴ・アルバム(限定500枚)「ライヴ・アット・マガジンNo.1/2」を録音。これがウエストロードが初めてレコードになった。「Magazine#1/2」でのライヴが評判となり、東京の大学祭などにも出演し始める。
●一方地元京都では同年開店したライヴハウス「拾得」を中心にライヴを続け、京大西部講堂のコンサートにも頻繁に出演。同年、8月8日に行われたヤマハ主催の「8.8Rock Day」の前後から「上田正樹とサウス・トゥ・サウス」「憂歌団」などとブルーズ、R&Bのコンサートに出演。これが76年あたりまで続く「関西ブルーズムーヴメント」のはしりとなる。
●1974年 「8.8Rock Day LIVE 74」が(徳間バーボン)リリースされ、ウエストロードは3曲収録された。8月、日本のほとんどのロックバンドが集結した福島県郡山で開催された「ワン・ステップ・フェスティバル」に出演。そして、同年開かれた「第1回ブルース・フェスティバル」にロバート・Jr・ロックウッド、スリーピー・ジョン・エステスなどが来日したことで関西のブルーズ・ムーヴメントに拍車がかかり、ウエストロードはその中心となって活躍。
●1975年 4月1日デビュー・アルバム「ブルーズパワー」(徳間バーボン)を発表。初の全国ツアーを敢行。
●同年、山岸潤史が脱退し、神戸出身のサックス奏者-薩摩光ニとレイジー・キム・ブルーズ・バンドに在籍していたピアノの井出隆一が加入。山岸は石田長生(g)らと「ソー・バッド・レヴュー」結成。
●同年セカンド・アルバム「ライヴ・イン・キョート」(徳間バーボン)をリリース。
●2枚のアルバムから抜粋された曲によるコンピレーション・アルバムが米アイランド・レコードよりアメリカ、カナダ、オーストラリアなど5カ国にで発売。
●1976年 塩次、薩摩が脱退した後、元スウィート・ホーム・シカゴの中島正雄(g)を加えカナダにてライヴ、プレゼンテーション・ライヴを行う。塩次、薩摩はその後、「ダウン・ホーマーズ」から「しーちゃんブラザーズ」へと活動していく。
●1977年 2月26日「Jirokichi」でのライヴを最後にウエストロード解散。
●1984年 ウエストロード・ブルーズバンド、オリジナル・メンバーにて再結成、アルバム「ジャンクション」(ビクター/インヴィテーション)よりリリース。
●1995年、長年の念願であったウエストロードのアメリカでのライヴをニューヨークの名門ライヴハウス「トランプス」の招聘により実現。そのライヴはアルバム「ウエストロード・ライヴ・イン・ニューヨーク」(ZAIN)として発表された。
●以後山岸潤史が渡米、ニュー・オリンズに移り住むが、ウエストロードは不定期に活動、オリジナルメンバーとしては2004年「ブルース伊賀の乱」、2005年「フジロックフェスティバル」に出演。